人間の行動を操るために覚えておきたい科学

この記事はTech KAYAC Advent Calendar 2019の4日目の記事です。

こんにちは。技術部平山です。

この記事では、人の行動を操る、つまり、人の行動を予測したり、望みの行動を取らせるために役立つ科学について 軽く紹介いたします。プログラミングの話はございませんが、 プログラマに読みやすい味付けにはしておきました。

なお、「人を操る」とか言っていますが、実際それで思うように操れるのであれば、 私はもっと裕福だったでしょうし、高い地位を得ていたことでしょう。 理屈と実践は異なるということです。

ただ、これを知って気が楽になる方もいらっしゃるかもしれませんし、 もしかしたら、実際に何かを改善させられるかもしれません。

基本的には与太話ですので、お暇な方のみお付き合いください。

予測に使える理論は、制御にも使えるかもしれない

何かしらの理論によって現象が予測できるのであれば、その理論は役に立ちます。

予測できるというのは、「ある条件であれば、未来においてこうなる」 ということがわかることです。 物理学で言えば「初速v0で位置がp0であれば、t秒後にはこの位置、この速度になる」 というようなことに相当します。

そして、「この条件がもしこのように変われば、結果はこのように変わる」 という予測もできるはずで、 その条件を操作できれば現象を制御することもできる、という話になってくるわけです。

私が知る範囲の科学の分野で、人の行動に関して応用しやすいのは、以下の二つです。

  • 経済学
  • 応用行動分析

これらは、「人がそのような行動をしたのは何故か?」を問う上で、 非常に便利な枠組みを提供してくれます。 経済学は人を集団として見た時に、応用行動分析は人を個別に見た時に 適用でき、とっても便利です。

心理学系の学問も使えるとは思いますが、私にはあまり知識がありません。

経済学

経済学もいろいろありますし、私はバイオテクノロジー専攻だった素人ですので雑な話しかできませんが、 雑なストーリーでも私にとっては十分役に立ちます。

とりあえずものすごく雑に言えば、「人は得をするように行動する」 という世界観があります。

「得とは何か?」という所は案外難しくて、「長期的に見た時の金銭の量」を得とすれば 比較的扱いやすく、「古典的」と言われる経済学の分野になるのですが、 「心理的に得られる満足感の量」みたいな話になると、 個性とか、その日の気分とか、人間の認識能力とか、そういうのが関わってきて話が難しくなります。 しかし、私は素人なのでそこに踏み込む必要は必ずしもなく、

「その人の行動は、どんなものであれその人にとって得と感じられたものなのだ」

と逆に捉えられれば、それだけで世界の見え方が大きく変わります。

  • 勉強会に行こうとしない人は、勉強会に行かないことを得だと感じている。
  • 帰って宿題をすぐやらない娘は、宿題をやらないことを得だと感じている。
  • 汚ないコードを書く人は、汚ないコードを書くことを得だと感じている。
  • 次の日会社なのに4時までゲームをしてしまう私は、それを得だと感じている。

みたいな感じです。一見「いやそれ得じゃないだろ」と思うことでも、 実際にその行動が取られているならば、それは「主観的には得なのだ」 と捉えます。良いとか悪いとかの話で考えないのがコツです。

「おまえが言うならそうなんだろう。お前ん中ではな」 という台詞がネットでよく引用されましたが、まさにこれですね。 「その人の中ではそれが正しい」ということを認めることから話が始まります。

制御する

さて、ではこれを制御する、つまり行動を変化させたいと思ったらどうすればいいでしょうか。

  • 勉強会に行ってほしい
  • 宿題をやってほしい
  • 綺麗なコードを書いてほしい
  • 次の日会社ならさっさと寝てほしい

こういう時にやるべきことは、決まっています。「得」を操作することです。 方法はいくつかあります。

得を増やす

例えばこんなのはどうでしょう。

  • 勉強会に行くと寿司が食える
  • 宿題をやると褒められる
  • 綺麗なコードを書くと尊敬される
  • さっさと寝ると気持ちがいい

ある行動をした結果得られる得が増えれば、その行動を取る可能性が増えます。 どこが経済学なの?って話ですが、 「今買うともう1セット無料でプレゼント!」って言われるとつい買っちゃう、 というのと話は一緒です。

経済学を持ち出すまでもなく、「より欲しいものはより高い値段を出しても買う」わけです。 「勉強会に行く」というのは「時間」とか「意志力」みたいな「お金」に相当するものを払うわけで、 購買行動と構造は一緒ですね。 「あるものを買うために払っても良いと思える値段が、その物の魅力が上昇したために高くなった」 ので、その結果買う(=行動する)ことになるわけです。

損を増やす

逆にこういうのもあります。

  • 勉強会に行かないと軽蔑される
  • 宿題をやらないと怒られる
  • 汚ないコードを書くとバグって泣く
  • 夜更かしすると次の日全く仕事にならなくて辛い思いをする。

これらは、「望ましいとされる行動」を取らないことで損をする、という例です。 この損が大きくなれば、総合的に「望ましい行動」に傾いてくるはずです。 望ましい行動を取らなくても損をしないのであれば、 その行動を取ることの必然性は薄くなります。

したがって、できるだけ「望ましい行動をしなかった時の損」 が大きくなるように介入すれば、望ましい行動を増やすことができます。 ただし、これは後述する応用行動分析の理論を考慮に入れると 若干修正が必要になりますので注意が必要です。

手間を減らす

「面倒くさくてやらないでいたが、ふと気がむいてやってみたら案外良くて、 それからやるようになった」みたいなことってありますよね?

  • 勉強会を近い場所で、ドアを閉めずに開催した
  • 宿題を机の上に出しておいた
  • エディタの補完機能で綺麗なコードを簡単に書けるようにした
  • ゲーム機を出しっぱなしにしていたのをしまうようにした

上記のような変更を行うと、「望ましい行動」をするための手間が減ります (最後のは逆で、「望ましくない行動をするための手間」を増やしてますね)。 勉強会の例で言えば、移動のコストや、後から来てしまった時にドアを開ける抵抗感、 みたいなものを削減したわけです。 大抵の場合「望ましい行動」にはコストがかかりますが、 誰だってコストは払いたくありません。 後で得があるとわかっていても、行動しなかった時に損をするとわかっていても、 コストを払うのは嫌なものです。 ですから、このコストを減らすことで望ましい行動に至る確率を上げることができます。

この三つを整理すると、

  • やった時の得を増やす
  • やらなかった時の損を増やす
  • やるコストを減らす

この三つに着目して何かしらの操作を行えば、 それに伴って人の行動を望む方向に変化させられるかもしれない、 ということになります。

しつこいようですが、ここに、正しいとか、間違っているとか、おかしいとか、まともだとか、 そういう価値判断が入りこむ余地はありません。 「エンジニアたるもの勉強会に出るべき」とか「宿題をやるのが当然」とか、 そういうヌルい感情が入り込む余地はないのです。判断を曇らせます。

いま現にそのような行動をしているのは、当人にとってそれが合理的だからです。 その状況を変えない限り行動は変わらない、と考える方がスッキリします。 そう考えるからこそ、別の行動が合理的になるように条件を操作すればいい、 という簡単な結論が出てくるのです。

もちろん、個人個人で見た場合には確実性はなく、 何をやっても変わらない人はいるでしょうが、 集団として見れば統計値が変化すればそれでいいのです。 であれば、このような大雑把な考え方の方が役に立ちますね。

極端な話、「勉強会に行けば100万円給料が増える」 と言われたら、大抵の人は行くでしょう? それをもっと安いコストで、効果的にやる方策を考えれば良いのです。

経済学で便利な概念

経済学には多数の便利な概念があり、非常にオススメです。 ちょっと脱線になりますが、いくつか紹介しておきます。

比較優位

社長がコーディングがどんなにうまくても、社長は経営をして、 コードは別の人が書いた方がいい、という話です。

社長がコーディングと経営の両方で他の人より優れていれば、 これは「絶対優位」です。しかし、社長が相対的に経営を 得意としていれば、コーディング力が社長に及ばないとしても、 社員がコードを書く方が総合的には良いのです。この時、 その社員はコーディング力において「比較優位」 を持っていると言います。 「絶対的に上手いか下手か」ではなく、「費用対効果が良いか悪いか」の話です。

これは、会社という形で分業して生きていくことの理論的根拠と言えます。 そして、欠点が多い、能力にでこぼこがある人間であればあるほど、 会社で助け合って仕事をすることに利益がある、 という、私のような人間にとっての救いの理論でもあります。

ところで、上述の例は、社長が経営に優れている場合の話です。 コーディングは神だが経営はダメ、 という人が社長の場合は当てはまりません。

また、現実問題、劣った能力の人を当てることで 足をひっぱって損害になるケースはありますよね。安い(=比較優位を持つであろう)外注に投げた結果、 結局使い物にならなくて作り直す、ということが起きるかもしれません。

それは何が間違っているのでしょうか?比較優位の理論が間違っているのでしょうか?

違います。比較優位に限らず、経済学の理論は近似なのです。 比較優位の場合、「誰がやろうが結果できるものは同じで、ただ、かかる金だけが違う」 という前提条件があります。できるものが違う場合は成り立つとは限りません。

外部性

プロジェクト横断的な技術サポート部門がある会社は多いのではないでしょうか。

各プロジェクトにしてみれば、技術サポート部門の人間の時間は、 自分のプロジェクトのコストにはなりませんから、 できるだけサポート部門に仕事を押しつけて、 自分のプロジェクトのコストを下げたい、という動機が生まれます。

その結果、技術サポート部門に過剰な負荷が集中したり、 全体として見た時の優先度と違う優先度で仕事が行われたりして、 全体としては損害が発生する可能性があるわけです。

こういうのを外部性と言います。 コストを他人(=外部)に押しつけることが可能な場合、 人はついそうしてしまい、全体としては悪いことが起こる、というお話です。 個別に見ればそれが合理的ですからね。

経済学の教科書ではよく公害の例が出てきます。 化学工業の会社が川に有害物質を捨てても自分は損しないので、 バンバン捨ててしまうわけですね。 そのへんにゴミを平気で捨てる人がいたりするのも、外部性です。

さて、外部性に対処する基本は「内部化」です。

技術サポート部門の例で言えば、仕事を依頼した分だけプロジェクトコストが 加算されれば、「内部化」されたと言えます。 そうしている会社も多いでしょう。

ただ、それが過ぎると、外部化を別の方法でやる動機が上がって、 余計に厄介なことになることもあります。 例えば、「チームメンバーの残業」とかですね。 残業代が固定の会社では、チームメンバーを酷使したくなる動機がどうしても出てきます。 これもまた「プロジェクトがコストを外(=帳簿に乗らない要素)に押しつけている」わけで外部化です。 チーム内のことになると外からわかりにくくなるので、むしろ厄介です。 その意味で、技術サポート部門に仕事を押しつけたくなる理由を残しておく方が うまく行く気はします。

さて、外部性の問題はいずれは自分に返ってきます。 例えばメンバーにサービス残業を強いれば、「メンバーの生産性低下」という形で コストを払うことになります。長期で見れば外部とは言えないんですが、 人間はそんな先のことまで考えられるほど賢くはないのです。

なお、うちの娘はなかなか部屋を片づけませんが、これも外部化の例です。 粘って片づけないでいれば親が片づけます。片づけるコストを親に押しつけているわけです。 この場合の内部化はどんな方法があるでしょうか?

一つ経済学的に素直なのは、報酬を設定することです。 「おまえのおもちゃ片づけたらオレの給料10円な」 という感じに、「片づける親に対して子供が報酬を支払います」。 注意してください。これは罰ではありません。コストの支払いを内部化 しただけで、道徳的な意味合いはありません。 経済学的アプローチで大事なことは、道徳などというヌルい概念を 介入させないことだと私は思います。怒るどころかにこやかに、 実際お金をもらったら「ありがとう」と言いましょう。

ただ、これが有効かどうかは議論があります。 「罰金を設定したら、罰金を払えばオーケーと考えて違反が増えた」という話は ちらほら聞きます(例えばこれ)。 真偽はわかりません。

限界費用

余計に1個何かを生産する時にかかる費用のことです。 パンとか車とかのように、原料費や輸送費などの変動費がかかるものでは、 この「限界費用」がゼロにはなりません。 最初は工場を大きくするほど一個あたりのコストは減りますが、 そのうち「これ以上工場を大きくできない」という限界が来て、むしろコストが上がります。

しかし、世の中には限界費用が限りなくゼロに近い商品があります。 私が携わっているスマホ向けのゲームはその例ですね。 客が一人増えたからといって、開発費が増えるわけではありませんし、 流通の負荷(例えばCDN代)も大して増しません。 こういう商品には、一つ大きな特徴があります。 一位になったものが市場のかなりの部分をかっさらっていく、という特徴です。

何故か?限界費用がゼロだからです。

限界費用がゼロなら、一つの商品がいくらでも客を増やせます。 限界費用がどこかで上昇に転じる商品では、取れる客の数に限度があるので、 他の商品にも客が回ってきますが、限界費用がゼロだとそうなりません。

音楽、ゲーム、映画、のような情報商品は、 「作っちゃえばコピーはタダに近い」 ので、必ずこの性質を帯びます。 そういう商売は確実にバクチになり、実に恐ろしいことです。

ところで、勉強会の「限界費用」を考えてみましょうか。 準備をするコストは、来る客が部屋に入り切る限りは、客の数に左右されません。 しかし得られる利益(=学習効果)の合計は客の数に比例しますし、 しゃべった当人も大抵は客が多いほど満足を得ます。 このことから、勉強会の利益を最大化するには、 「客がたくさん来る質が高い内容を確保する」ことが重要だとわかります。 質が悪いと客が減るので、準備のコストに対して割に合わなくなるのです。 だいぶ話が逸れてますが、私は勉強会の運営を安定化させるには、 多少無理をしてでも話の質を上げる方が良いと思います。 それでまず客を増やしておかないと、 「そもそもやる意義あんのか状態」になって脆弱です。

また、「参加者が多い勉強会ほど参加者の満足が上がる」という効果も 期待できます。人がたくさんいる勉強会に行くのは、 人が少ない勉強会に行くよりも、大抵は価値がありそうに感じられるものです。

電話の価値は「他の人も持ってる」ことにありますよね? 一人で持ってても意味がないわけですから。 流行りの音楽、流行りのゲーム、流行りの勉強会、 といったものは、そのもの価値に、 「他の人がやってること」の価値も乗ってきます。 これをネットワーク外部性 と言います。 「製品そのものの外部」から価値がやってくるわけです。

「この勉強会に行けばいつもあの人がいる」はネットワーク外部性です。 その意味でも、勉強会はまず人口を増やしてネットワーク外部性の価値を 乗せていくと、運営が安定しやすいのではないかと思います。

ちなみに、弊社には「Unity勉強会」なるものがあるのですが、 私が運営を引き継いでから、この理論が本当に使えるのかの実験台にしております。 今のところ目論見通りに行っている気がしますね。この先はわかりませんが。

応用行動分析(ABA)

さて、経済学は主に集団を対象にする学問です。 「得を増やし、損を増やし、手間を削れば、そっちに流れるだろ?」 という雑な話でして、「いま目の前にいるコイツ」に対して効くかどうかは結構わかりません。 「娘にバイオリンの練習をしてほしい」みたいな話になると、 対象が個人なので、もうちょっと細かくやる必要が出てきます。

そこで使えるのが応用行動分析 です。英語ではApplied Behavior Analysisで、頭文字を取ってABAと呼ばれます。

Antecedence-Behaviour-Consequence分析(ABC分析)

まず、行動とその周辺の現象を3つの要素に分解します。

  • 行動に先立つ状況(Antecedence)
  • 行動(Behaviour)
  • 結果(Consequence)

頭文字を取ってABC分析です。 要するに、「どんな状況で」「何をして」「どうなった」かです。

  • A: スーパーのお菓子売り場で
  • B: 菓子が欲しいとだだをこねて泣いたら
  • C: 買ってもらえた

みたいな感じに分解します。そして、行動(B)の結果(C)が、当人にとって好ましいものだと、 行動(B)の頻度が増えます。これを強化と言います。

「やってみて、いいことがあったら、もっとやる」というだけの話です。 何を当たり前のことを、と思うでしょ?でもこれをあらゆる行動に関して徹底的に適用すると、 いろんなことが見えてくるのです。

「それ経済学と同じこと言ってない?得することをする、ってだけの話だよね」 と思われた方もいらっしゃるでしょう。確かにある程度は重なるのですが、 決定的に違うことがあります。 それは、「本人にその行動を選択する意思がなくてもそうなる」 と考えるところです。というか、そもそも「意思」なるものを前提としません。

経済学においては、一応「人が何かしらの意思でその行動を選んでいる」的 な理解がされてる気がしますが(わかりませんけど)、 応用行動分析は元々が動物実験から出てきたこともあって、意思なんていうヌルい概念は前提としません。 理性の存在も前提としません。強化は本人も自覚しないままに起こります

例えば、上の「泣いて菓子をもらう」例って、幼児の話ですよね? 幼児は「泣いたらもらえるから泣こう」なんていう高度な 見通しを持って泣くわけではありません。条件反射と同レベルです。 鍋に触って熱い思いをしたら、その後鍋に触るの怖くなりますよね? 熱くなくてもビクッと手をひっこめたりしますが、その時って理性なんて介在してないでしょう? 経済学が扱う「意思」決定は、秒のオーダーではありませんが、 応用行動分析の「行動」決定は秒以下のオーダーのお話だと考えていいと思います。 理性以前のレベルで行動を予測、制御しようというのが応用行動分析なのでしょう。 これは私の理解なので学術的には間違っているかもしれませんが、そのように思えます。

応用行動分析(ABA)の実践

さて、これをどう使うのでしょうか。現実の応用として最大のものは、 たぶん、自閉症 の子の教育で、私も自分の子のために調べて知りました。 実際ABAで検索すると、出てくるのはほぼ自閉症関連です。

リンゴとミカンが描いてある絵カード2枚を見せて、 「リンゴはどっち?」と聞き、 リンゴを取れたら、すごい勢いで褒めたり、お菓子をあげたりします。 秒のオーダーでです。1秒遅れたら効果が激減します。 これでいろんなことを教え込むわけです。 水族館でイルカが芸する度に魚をあげてますよね?だいたいあのイメージです。

行動の結果いいことがあれば、その行動が強化されます。つまり頻度が増えます。 AIをやってらっしゃる方は、ピンと来るものがあるのではないでしょうか。 強化学習ってこれのことですよね? フィードバックが即座で強力であるほど学習は高速化します (往々にして過学習に陥って応用が効かなくなるのも同じです)。

健常な子であれば、そこまでせずとも勝手に学べますが、 自閉症の子はそこまでしないと学べないことが多々あるのです。 原因は様々で、「褒められる」ということの意味がわからないので報酬になってないとか、 記憶に問題があって「行動」と「結果」の時間が空くと関連付けられないとか、 まあいろいろあるでしょう。 健常の子の学ぶ力の強さは、自閉の子を見ているとむしろ不思議に思えてきます。

さて、学習の原理自体は健常だろうが自閉だろうが変わりません。 「なにかして」「いいことがあった」時に、「なにかして」が強化されます。 ただ、健常な子は「いいこと」が弱くても、そして時間的に空いても、強化が起きる、 というだけのことです。

であれば、もうおわかりですね?目の前にいるフツーの大人を相手に使っても効くということです。

勉強会に来てくれたら、秒速で歓迎の意を示しましょう。1秒以内です。

同僚がいいツールを作ってくれたら、秒速で賞賛しましょう。1秒以内です。

これによって起こる強化は、理性の下のレベルで起こるため、損得を計算する隙間を与えません。 「挨拶って気持ちいいね」「感謝の気持ちは大事だよ」的な言葉はよく聞かれますが、 私にとっては応用行動分析の実践の一手法と思えます。 それによって相手の望ましい行動を強化する手続きであり、 であるからこそ、秒速で行う必要があります。 考えてやったのでは遅いので、反射でできるよう訓練するわけです。

経済学は数学的なモデルを立てて近似することで得られた理論なので、 その範囲では完璧に正しいのですが、所詮近似なので実際にそうなるかはわかりません。 一方、応用行動分析は理論というよりは、経験則に見えます。 「そういう形で理解すると行動が予測でき、さらには制御できる」ということで、「なぜ」は問いません。 しかし、こいつが恐ろしく強力なのです。

負の強化

2/4 22:55追補:「負の強化」が、学術的な定義と異なるとのご指摘を頂きました。 修正予定ですが、それまでは「この記事の中での言葉」とお考えください。真に申しわけございません。

さて、「望ましい行動」は「いいこと」で強化できることがわかりました。 しかし往々にして逆のことがあります。「やってほしくない行動」をどうやって消すか、です。

経済学の時と同じに、「それをやると損をする」という状況を作るのはシンプルな回答ですね。 実際、「やってみた」→「悪いことが起こった」という場合に起こるのは、負の強化(消去とも言う)です。 その行動の頻度が減少します。

これのよく見る例は、罰ですね。

  • 行動(Behaviour): 汚ないコードを書いたら
  • 結果(Consequence): 怒られた

怒られる、というのは罰です。罰という損害を与えることによって、望ましくない行動の「消去」を図ります。 しかし、これがなかなかうまく行きません。なぜなら、罰を回避する方法は他にもあるからです。

一つが「怒られた」を無視することです。スルー。怒られても、そこに害を感じなくなれば、 負の強化は起こりません。怒る方は怒り方を激しくするしかありませんが、 怒られる方はさらにスルーの度合いを高めていき、イタチごっこになります。 いずれは暴力にまで発展するかもしれません。不幸なことです。

もう一つは、「綺麗なコードを書く」よりも安いコストで、「怒られる」を回避する代替案を見つけることです。 例えばこのケースなら、コードレビューを回避できれば汚ないコードを書いても怒られずに済みます。 バレなきゃいいんですよ!

「いや、それは人としてどうなの?」と思うかもしれませんが、 人は人類である前に霊長類です。霊長類はズル賢さがウリの生き物らしく、 霊長類学の島泰三 の本(確か親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る)に、 筆者が困った行動をするお孫さんを見て霊長類だなあとしみじみする描写があった気がします。 基本ダマしたりゴマかしたりしてその場を逃れるのが霊長類の行動パターン、 みたいな話だったでしょうか。それが本当かどうかは知りませんが、 少なくとも自分は完全にそうですし、 うちの子も食べ物に触って汚れた手をしれっとテーブルの裏で拭いてたりして、 なるほど霊長類だなと思います。

というわけで、罰による「負の強化」は、罰のエスカレートか、ズル賢い回避行動を呼び、 結果的にうまく行かない可能性が高くなるのです。

また、罰を与えることにはもっと恐しい副作用があります。 もし罰が効いてしまうと、罰を与える側に、罰を与える行動の強化が起こるのです。

テキトーな仕事をした奴に怒鳴った所、次から真面目に仕事をするようになったとしましょう。 それは「怒鳴ること」の成功体験です。怒鳴ればうまく行く、という学習が発生します。 この例だと「怒鳴る」と「真面目に仕事する」の間に秒以上の時間が経過するので 強化はそれほど強力ではないでしょうが、結果が秒速で出るようなケースでは 極めて強力な強化が起こります。

例えば、リーダーがミーティングでしゃべろうとしてもメンバーが勝手にしゃべってて聞く気配がないとします。 そこでリーダーが机を叩いて怒鳴ったら、たぶん一瞬でシーンとしますよね?

これ、ヤバいです。秒速で強化が発生します。

その後もこのリーダーは事あるごとに机を叩いて怒鳴りたいという衝動に駆られることになるでしょう。 強化は理性と関係なく発生しますから、本人にその衝動を抑えることは困難です。 応用行動分析は、「自分の行動を自分で決められる」という無邪気な世界観がいかに危ういかを教えてくれます。

強化子

何かした後に得られる「いいこと」を、応用行動分析では「強化子」と呼びます。 泣いた後にもらえた「お菓子」とか、勉強会に顔を出した瞬間にかけられた「歓迎の言葉」とかですね。

強化子にはいろいろありますが、強力さはおおよそ以下の順になります。

  • 食べ物などの感覚的強化子
  • 褒められるなどの社会的強化子
  • 自分の中で発生する達成感のような強化子

下ほど強化子として成立させにくくなりますが、強力になります。 序盤はまず食べ物で釣り、徐々に褒めの比率を増していき、 最終的には放っておいても達成感を得て勝手にやるようにする、というのが標準的なフローです。

勉強会にはまず寿司なりピザなりを置き、参加者との会話や発表時の客の反応などの社会的強化子の比率を高めていき、 最終的には自分の中で完結する満足を得るに至ります。参加者の多くがこの段階になれば、 勉強会は安泰と言えるでしょう。

習い事や勉強でも同じですね。食べ物やらゲームをやる許可やらで釣って練習させ、 褒めちぎり、いずれは上達するのが楽しくなって何もしなくても勝手にやるように仕向けます。 コーディングだって完全に同じです。

逆に言えば、ここまで行かないうちは、モノになりません。 給料をもらわないとコードを書かないうちは一流になれないでしょうし、 褒められないとコードを書けないなら、やはり一流にはなれないでしょう。 「こいつは向いてなかった」と言うのは勝手ですが、 「周りがそこまで持っていくサポートをできなかった」 という側面は大きいかと思います。才能や個性だけの問題ではないのです。

自分に使う

応用行動分析(ABA)は他人に対しても使えますが、自分に対しても使えます。 むしろ自分に使うのが一番良い使い方、とすら言えるでしょう。

他人を変化させるよりも、自分を変化させる方がよほど簡単で確実であり、 自分に「望む行動を取らせ」「望ましくない行動を取らせない」ための 手段として、応用行動分析は強力に効きます。

自分の行動をABC分析することに慣れると、 自分を客観視できるようになるので感情の振れ幅を小さくできます。

また、努力や意志力を必要としそうな、大きな目標に向かわせる際にも役に断ちます。 応用行動分析が理性や意思のような「ヌルい概念」を前提としないことを思い出してください。 努力や意志力を必要とする計画は、すでにして破綻しているのです。 何かで上達する人は、自覚的にはがんばっていません。 一日12時間コード書いていても、本人にとってそれが遊びと連続なのであれば、 努力も意志力も必要ないのです。 そういう状態にするためには、どうお膳立てしていけばいいか? ということを考える枠組みとして、応用行動分析は非常に役立ちます。

何書いてんだ私

ちと長くなりすぎましたかね。

  • 集団として扱うなら経済学
  • 個体をきめ細かく扱うなら応用行動分析

というお話でした。

最後に、人を操作するために私が大事だと思うことをまとめましょうか。

  • 道徳を持ちこまない
    • そんなヌルいもので人を操作することはできません。クールに行きましょう。
    • 「べき」という言葉を使ったら、もう敗北していると考えていいと思います
    • 「おかしい/まとも/ちゃんと/良い/悪い」といった言葉も同様です
  • 怒らない
    • 怒りは相手を支配しようとする行為だと認識しましょう
    • 支配に失敗すればエスカレートし、成功すれば強化によりやはりエスカレートします
    • 「泣くこと」によって相手を支配しようとするのも同様です
  • 負の強化は非効率的
    • 罰による「負の強化」あるいは「消去」は、エスカレートや回避行動を誘発し、うまく行きません
    • 集団を操作する際に「このままだと死ぬぞ」的な脅迫によって「現状の損を増やす」試みは、このことによって失敗します。
    • 「望ましい別の行動の強化」によって、相対的に望ましくない行動の頻度を下げる方が効果的です。

で、このノリで書くといかにも非道徳的、非人道的で、人類を冒涜している感じになるわけですが、 よく考えてください。これを実践した結果って、すっごく紳士的だと思いませんか?

下心で褒めるのは嫌らしい、と思うかもしれませんが、そんな計算をしていたら1秒以内には褒められないんですよ。 いいと思ったら本当にそのまま口から「すごい」という言葉が出てくるようにならないと、 相手は動かせないのです。それって、「いい人」じゃないですか?

怒らない人って紳士的ですよね? 「何々すべき」とか言わないで事情を良く見てくれる人って、やっぱり紳士的ですよね?

私は必要性に迫られて応用行動分析の本を読み漁ったのですが、 最近は「これは私を成長させる試練であり機会だ」と思うようになりました。 何年か前に読んだアドラードラッカー と同等以上に私に影響を与えているように思います。

それにしても、なんでこんな話になったんだろう...

アドベントカレンダーが埋まらないと言うので、コンピュートシェーダの続きでも書こうと思って引き受けたんですが、 1日じゃ実装間に合わないかもしれないと思って、何も見ないで書けるネタで書くことにしたのですよ。 気がついたらこうなってしまいました...

参考文献