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#17 煩悩と苦しみについて

どうも。退職者です。@kenjiskywalkerです。

teck.kayac.com Advent Calender 2013 17日目のエントリです。

前日は、@handlename先輩のプライベート情報を得るべく@SOMTDさんと必死になって質問していたら
何故か@handlename先輩が@damele0n氏のプライベート情報をペラペラとしゃべりだすという流れ玉を受けた
@damele0n氏の#16 Leap Motionでおっぱいを揉む でした。
相変わらず揺らしてますね。最高です。

さて、去年は「「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」というエントリで
tech.kayac.com Advent Calendar 2012の1日目を担当したのですが、誰の琴線にも触れませんでした。

そもそも退職者という身分でありかつ、ファッションの最先端、
南青山のサマリーで勤務しているということをわきまえながら今回は

煩悩と苦しみについて記したいと思います

煩悩とは

煩悩と聞くと、108という数字を思い出す人も多いのではないでしょうか。
この108、本来は「やたら多い」の意味であり
細かく分かれてる必要はなかったものを跡付けして、
色々な宗派で色々な解釈があるものかと思います。

原始仏教では、煩悩こそ「苦」の原因だと捉え、その発生するメカニズム(縁起)を理解し、
克服することで、解脱・涅槃が可能であると考えられてきました。
祈りや偶像崇拝ではなく、日々の実践によってのみ切り開かれるあたり、
原始仏教の方が精神のスポーツに近い感覚かもしれません。

今回は、その「苦」について学ぶことにより、
2014年のあなたの人生のほんの少しの役に立てれば幸いです。

それでは、まずはじめに四苦八苦から学んでいきましょう。

四苦八苦

四苦

四門出遊の話でおなじみの四苦ですね。

八苦

  • 愛別離苦(あいべつりく)
    愛する人と別れなければならない苦しみ 

  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
    憎んでいるものに出会わなければならない苦しみ 

  • 求不得苦(ぐふとくく)
    求めるものが得られない苦しみ

  • 五陰盛苦(ごおんじょうく)
    苦しみを苦しみと感じる苦しみ

この四苦八苦に対して、仕方ないものだ。と悟ることを苦諦と言います。
四諦のうちのひとつで、悟りの境地へ辿り着くための第一歩として存在します。

また、(4 x 9 + 8 x 9 = 108)という話がありますが、
108 = とても多い。という意味なので、これは跡付けの可能性が高いです。面白いですよね。
仏教は「」という単位に代表されるように、単位に中2感あると思います。

さて、次は三毒を見てみましょう。

三毒

  • 貪(とん)
    字の如く貪ることを表します。また、必要以上に執着する。という意味も含みます。

  • 瞋(しん)
    怒ることを表します。思い通りにならないことに対して怒る様を表しています。

  • 癡(ち)
    痴とも書きます。これは迷いの心の意味もありますが、理性ではなく、
    本能的(畜生のよう)に動く様を表しています。

三毒は、原始仏教から大乗仏教の様々な宗派に取り入れられている概念で、有名な煩悩の類です。

四苦八苦と三毒を理解し、日頃の自分自身の生活と照らし合わせると
いずれかに該当する部分があるかと思います。

私個人としましても
「お金がほしい」「なんで飲みに行った日に限って障害が出るんだ」「あの女子大生かわいいな」
などと、日頃から三毒におかされていることを本項を執筆するにあたり、改めて実感しております。

2014年を迎えるにあたり、少しでもより良い影響を与えられるように
この四苦八苦、三毒を意識して生きていきたいものです。

以上、簡単ではありますが、四苦八苦、三毒の紹介をさせて頂きました。
最後に、ブッダが唱えた煩悩に対するアンサーソング、三法印について学んで本項を終わらせたいと思います。

三法印

  • 諸行無常
    あらゆるものは変化する。永遠に若かったり、美しかったり、健康でいられるわけではない。
    それを理解することで、我執から解き放たれるという教え。

  • 一切皆苦
    すべてのことは思い通りにはなかなかいかない。それを理解すれば
    瞋ることはなくなり、穏やかに過ごすことができるという教え。

  • 諸法無我
    自分と捉えているそれは全体の一部であり、一切のものは我に非ずという教え。
    目に見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、味わうもの、感じるもの、意識するもの
    全ては全くの別物で、その中に私などというものは存在しない。
    「自分の一部である」と捉えているものは我執でしかなく、一切は衆生の一部である。
    という考え方。宇宙観がありますね。

この諸法無我、きちんと調べると大変深い概念なのですが、
どんなものにも主体というものは存在しなく、すべてが縁起によって生かされている。

神様の存在も、自分と理解しているそれも、今見ているパソコンの画面も、すべては
全体の一部でしかなく、主体的に個々が成立しているのではなく、
縁起(関係性)によって全体の一部として生かされている。
一切に大小上下などはなく、全体の一部として
生き、生かされる関係であることこそ、仏教の根本的な思想ではないのかな、と想っております。

「佛法は目前なれど、機なければ顕れず」


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